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「鎌倉幕府歴代執権」

鎌倉幕府歴代執権

鎌倉幕府歴代執権

執権北条氏の家系は桓武平氏高望流の平直方を祖と称する一族で、伊豆国北条庄を拠点とした北条氏の当主とも、単に伊豆国の土豪出身とも言われているそうです。
北条時政の娘政子が頼朝の妻となった事が縁で、幕府の要職に就き、頼朝の死後、源氏の将軍が3代の源実朝で途絶えてからは、北条氏が幕府の実権を握るようになりました。
執権北条氏の中で、僕は時宗ぐらいしか名前が思いつきませんが、それは時宗の時代、日本存続の危機ともいえる元寇があったからでしょう。
文永の役(文永11年1274)と弘安の役(弘安4年1281)の2度、モンゴル軍が日本へ侵略してきました。蒙古来襲です。
結局、時宗はモンゴル軍の襲来という国難を回避しますが、役後の御家人に対する恩賞問題や、3度目の襲来に備えての国防強化など心労が重なった為か、弘安の役の3年後、34歳で没しています。
その後、8代にわたり執権北条氏は続きますが、正慶2年(1333)、有力御家人の1人の足利高氏(尊氏)が後醍醐天皇側に寝返ったのをきっかけに鎌倉幕府と執権北条氏は滅亡しました。