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「大正暮らしの出来事」

大正暮らしの出来事

年号(大正)暮らしの出来事社会の出来事
元年(1912)パン食にジャム・バターの使用が普及
2年(1913)東京に4万坪のゴルフ場の建設が始まる
3年(1914)東京大正万博にエスカレーターが登場
天皇家の料理長にパリ修行のコック就任
シーメンス事件、第一次世界大戦参戦
4年(1915)小学校の就学率がほぼ100%になる対華21ヶ条要求
5年(1916)若い男性にオールバックが流行
6年(1917)石井・ランシング協定締結
7年(1918)大阪で第1回全国蹴球(サッカー)大会開催
スペイン風邪の流行でマスクが普及
米騒動、シベリア出兵
8年(1919)カルピスの発売開始
9年(1920)メンソレータムの発売開始尼港事件
10年(1921)
11年(1922)グリコ「1粒300m」の広告を開始4カ国条約、9カ国条約
ワシントン海軍軍縮会議
12年(1923)電熱式アイロンの使用が始まる関東大震災、虎の門事件
13年(1924)セーターの販売開始
14年(1925)マヨネーズの登場治安維持法、普通選挙法
15年(1926)和洋両用かつらが10円で販売
小学校の就学率がほぼ100%になる(大正4年)

官吏への登用は試験による選抜で行われていましたが、帝国大学法学部卒の生徒は無試験で高級官僚の資格を与えられていました。当時、帝国大学は官僚を育成する大学と位置づけられていたためこのような特権が与えられており、帝国大学→高級官僚という図式が人々の間に普及していきます。
そして、その帝国大学へ入学するには、官立高等学校の卒業者と定められていたため、その道はさらに狭き門となっていました。
その為、熾烈な受験競争が徐々に低年齢化し、大正時代になると小学生の就学率の増加にともない一層激しさを増していったのです。出世するための選択肢が現在よりも少なかった分、明治・大正時代の子供達のほうが今より厳しい受験競争をしていたのかもしれません。

スペイン風邪の流行でマスクが普及(大正7年)

大正7年~8年(1918~19)に全世界的に大流行したスペイン風邪(新型インフルエンザの一種)は、感染者6億人、死亡者4~5,000万人と大変な猛威をふるいました。発生源はアメリカですが、情報源がスペインであったためスペイン風邪と呼ばれたようです。
日本では当時、人口5,500万人に対し感染者2,400万人、死亡者38万人という、とても大きな被害がありました。新聞では連日その被害の大きさを伝えるとともにマスクをするよう励行していました。当時の政府発行のポスターには「恐るべしセカイカゼのバイキン!」「マスクをかけねば命知らず!」と感染予防の周知徹底をはかっていた様子がうかがえます。

セーターの販売(大正13年)

大正に入り、一部の仕事や身分の女性たちの間では服の洋装化が広まっていましたが、一般の女性の間ではまだまだ和装も多くいました。そんな中、大正12年(1923)に関東大震災が起こります。
その際に和装だった女性が裾が足に絡まったり、袖が引っかかったりして逃げそびれ、死者を多く出したということから、機能的な洋服との比較がされるようになり、女性誌などでも洋服を売り出したため、女性の洋装化が一気に広まりまったのです。セーターもこのような背景のもと、普及していきました。